Modern Age Idol

ハロプロ/AKB/原宿駅前パーティーズ/ニコモ/子役。たまにアイドル業界のことについて考えます

AKBとハロプロを比較することは無意味か?

ハロプロ推しの自分にとって、ハロプロ批判は聞くに堪え難い。

確かに今のハロプロの楽曲は、AKBの1人勝ち組時代ということを差し引いても、全盛期の頃よりは曲の質は下がったのかもしれない。まあそれでもAKBの楽曲よりはハロプロの方が”聴ける”という意味において、それは自分がハロプロを推せる理由になっている。

AKBの子は一部の人気メンバーをのぞいて、そのほとんどの扱いは、彼女たちの将来に「素敵な未来」を与えてくれるのだろうか?リップシンクばかりのライブ。これでは彼女たちがアイドルを引退したとき、残された芸能の道は「タレント」しかない(タレントになれればまだマシだろう)

ハロプロの子はまだ幾分かは希望が持てる。ハロプロのライブはすべて生歌で、一部をのぞき、そのほとんどTV番組ですら生歌である。そして彼女たちはしっかり人前で歌うということをやっているので、アイドルを引退してもディナーショーなどで「歌手」として食っていくくらいには生活していけるだろう。

「アイドル」とは夢と楽しみを与える一大エンターテイメントである。その本人たちから将来的に「夢」と「楽しみ」を奪ってしまうのは、どうなんだろうか?

AKBとハロプロを比較することは、しばしば「無駄」とか「無意味」と語られることがある。

まあ確かに多くの人にとっては無意味なものだろうし、そもそも違いさえよく区別がつかないのかもしれない。

しかし「いいものはいい」とか「自分の好きな物が好き!」とか言うことに、どれほどの価値があるのか?

それは自分自身が思ってるだけの感情であり、自分の行動の源泉にはなるかもしれないが、その作品の正当な評価にはつながってないと思うのです。

もし、本当に自分が「これは世間に広めたい、これにはその価値がある」」と思っているならば、それは相手に伝えなければなりません。

的確な言葉で、最適なロジックで。

「埋もれている名曲」というのは正当な評価を受けていないことになります。

そのためには同時代の作品や作家と比較したり、過去の歴史の作品から引用したりして、多角的な視点で、正確な「批評」をしなければなりません。それが作品に「価値を与える」ということだと思います。

結局現代に残っているすばらしい作品というのは、そういう批評をくぐり抜けているから、ぶれない価値の強度があります。

自分はハロプロが正当な評価を受けていないと思っているので、AKBと比較することによって、ある程度の汎用性を担保し、ハロプロの良さが引き出せればいいなと思います。


※追記
最近のヒット曲の入れ替わりが激しいのは、正確で正当な評価をする人が少なくなったからかもしれません。それは「音楽を比較するなんてナンセンスだ!音を聴いて楽しむものだ」というヌルイ教育が今の若者を中心にされ続けているから、という見方もできます。

※追記2
じゃあ多くの名曲を生み出したミュージシャン、例えばジョンレノンが自分の作った曲の評判なんて考えたか、というとそんなことはないと思います。でも一部の才能を持った人、マイケルジャクソンやカートコバーンは、自分への評価が不当だと考え、悩み苦しんだ人たちでもあります。